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シルヴィア (歌手)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
シルヴィア
出生名 松田まつだ 理恵子りえこ
生誕 1958年3月21日
出身地 日本の旗 日本大阪府東大阪市
死没 (2010-11-28) 2010年11月28日(52歳没)
日本の旗 日本東京都港区
ジャンル ムード歌謡
職業 歌手
活動期間 1979年 - 2010年
共同作業者 ロス・インディオス

シルヴィア(本名:松田 理恵子(まつだ りえこ)、1958年3月21日 - 2010年11月28日)は、日本の歌手

来歴

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大阪府東大阪市の出身。血液型AB型。元実業団バレーボール選手。大阪佐川満男の店で歌っているところをスカウトされ、ロス・インディオスに初代女性ボーカリストとして参加。ロス・インディオス&シルヴィアとして、1979年にリリースされたデビュー曲「別れても好きな人」がミリオンセールスとなり、一躍スター歌手となる。その後も、ロス・インディオスと活動を共にしていたが、83年に菅原洋一と歌ったデュエット曲「アマン」がヒット。これを転機にひとり立ちしてソロ歌手としても活動を始める。

ソロ活動はイベントやディナーショーが中心で、自身のヒット曲を観客の1人とデュエットするコーナーのほか、彼女の音楽的ルーツであるブラジル音楽も取り入れ、ボサノバの「イパネマの娘」やナラ・レオンが日本のCMのために録音した「あの日からサウダージ」の日本語訳も歌う。

その後、東京プリンエド山口とのコミカルなデュエット曲を発売した。生前最後のレコードは「愛の街 稲城」(クラウンレコード)であり、友人であるシンガーソングライターの塚本正治より「」という楽曲を提供され、練習中だった。

2009年平成21年)に精密検査の結果、肺癌であることが判明。2010年平成22年)11月28日に東京都港区の病院で、長男である歌手の中山貴大[1]に看取られ死去した。52歳だった。

代表曲

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  • 別れても好きな人(1979.9) オリコン最高4位,90.0万枚
  • それぞれの原宿(1980.12) オリコン最高43位,6.4万枚
  • うそよ今夜も(1981.7) オリコン最高95位,0.6万枚
  • 雨にしのんで(1982.3) 作曲は来生たかお
  • おもい手(1982.9) (以上、ロス・インディオス&シルヴィアとして)
  • アマン(菅原洋一とのデュエット)(1982.11) オリコン最高134位
  • 愛のキャラバン(1983.8) 作詞・作曲は谷村新司(ソロデビュー曲)
  • Let's Dream(1988.9) 日立建機イメージソング
  • 離婚適齢期(1992.5)
  • 二股の女(東京プリンとのデュエット)(1999.3) (えんか!!えいべっくす)
  • ムードコーラス命です。(エド山口とのデュエット)(2003.6) (日本コロムビア)
  • 能登空港(三輪一雄とのデュエット)(2006.6)「能登空港
  • 東京の男が好きなんか(2007.1) カップリングに「別れても好きな人」ハワイアンバージョンを収録(徳間ジャパン)
  • 愛の街 稲城(クラウン)

NHK紅白歌合戦出場歴

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年度/放送回 曲目 対戦相手 備考
1980年(昭和55年)/第31回 別れても好きな人 もんた&ブラザーズ ロス・インディオス&シルヴィアとして出場。
1981年(昭和56年)/第32回 うそよ今夜も 沢田研二
1982年(昭和57年)/第33回 コモエスタ赤坂 加山雄三
1983年(昭和58年)/第34回 アマン 研ナオコ 菅原洋一のサポートであるため、正式な出場には含まない。
  • 出場したすべての映像が現存し、『思い出の紅白歌合戦』(NHK BS-2)内で再放送された。

CM

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  • 「味の素のほんだし」
  • 「タカノユリビューティクリニック」
  • 「さつま小鶴」

ラジオ番組

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テレビドラマ出演

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グラビア

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関連項目

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出典

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  1. ^ シルヴィアさん、がん死 前夫と一人息子が献身看護も”. ZAKZAK. 株式会社 産経デジタル(SANKEI DIGITAL INC.) (2010年11月29日). 2016年12月25日閲覧。